『橋のない川 第一部』

今井正監督の作品を初めて観た。「戦後ヒューマニズムといえばこの人」という形容詞で語られる氏だが、未見であったのだ。近所の小さなツタヤにわずかに置いてあった数作から、何となく『橋のない川』第一部と第二部を借りた。

結論から言えば、大変に面白かった。面白いとは、楽しく笑える意味の面白いではない。内容は正反対の深刻さである。興味深いと言えばより正しく聞こえるだろうか。

これは、部落での差別問題を扱った作品だ。それすら知らないで観たものだから、そこに繰り広げられる差別の連続に胸が傷んだ。第一部は特にそうであった。なぜなら、子どもたちの生活が物語の中心だからだ。子どもらは、差別のなんたるかをまだ理解していない。理解していないが、立派に部落の村を差別する。特に「エッタは汚い」という無根拠な理由で、部落である小森村の生徒をいじめる。

登場する先生もまた、わかりやすく差別主義者、そして被差別部落の人びとに同情する者とにわかれる。「部落の方たちは、社会構造によってひどい仕打ちをうけているのでは」と、差別に理解のある先生が言う。しかし一方の先生は呆れたような冷笑しかしない。「あいつら(部族の人びと)自身に原因があるんですよ」と。

子どもらしいかわいい初恋、修学旅行、そんな時にも差別の壁は立ち塞がる。被差別層でない女の子からそっと手を握られ嬉しく思う、部落民の主人公。しかしのちに、それは女の子が、「部落の人たちの手は夜になると白蛇のように冷たくなる」という言説を確かめたかったからそうした、ということが明らかになる。少年は彼女の手のぬくもりを何度も確かめたであろうその自分の手を、「このやろう このやろう」と言いながら、ひたすら木に打ちつける。

そんなエピソードは枚挙に暇がない。その理不尽さに唖然としながらも、この世には確かにそのような階級社会による悲劇が繰り返されてきたのだろうと思わされる。そして、貧困に陥った女性の何割かは身を売られる。この構造は現代でも珍しくない。不況続きで先が真っ暗なこの時代、最低賃金ワーキングプアになるよりはと、徐々に風俗に染まっていく女性が多いのも理解できる。本当に望んでそうするなら問題ないが、やむにやまれずだったとしたら、こんなに辛いことはない。そんな現代とのつながりも思い起こした。

おばあさん役の方の演技が素晴らしかった。どこからどう見ても、そこにいるそのおばあさんにしか見えない。実在感が半端ではないのだ。方言まるだしで、シワシワの顔をしながら、草鞋づくりに励む彼女。孫が、差別を理由に叱られたと聞くと、学校の職員室に突撃する。孫は、部落民だとからかわれて、友人と喧嘩になったのだ。しかし彼は、決してその経緯を先生たちに言わない。だからずっとバケツを持って立たされていたのだ。おばあさんはすぐに何が起こったのかを見抜く。そして校長らに言う。「あの子が理由をしゃべらんのは、自分がエッタやから差別されたいうことを口にしたくねえからです。先生、こんなことが許されてええんでしょうか」と、このようなことを泣きながら述べる(台詞は記憶によって書いたので、完全に正しいわけではない)。その迫力たるや凄まじく、彼女が長年抱いてきた悔しさが爆発しているような熱演である。

部落問題についての知識が自分にあまりにないことに気付かされた作品だった。これを機会に原作を読み、理解を深めたい。時代がたったらなくなるというような簡単な問題ではないのだろう。人間はいつの時代にも階層社会を作り、それぞれが、自分より下の身分を虐げることで安心してきた。そしてその不満が下に行くほど、本来向かうはずのトップには怒りが向かず、すぐ上の階層と闘争するという、トップには都合の良い社会構造が珍しくなかった。その不合理さは、現代でもなくなってはいないのだろう。少しでも知識を得たいので、勉強をしてみようと思う。そして今井正という監督作を、今後も続けて鑑賞していきたい。