『わたしは、ダニエル・ブレイク』

楽しみにしていたこの映画。期待通りの名作だった。

真面目に生きてきたつもりなのに、いつの間にか貧困におちいる登場人物たち。これは、今まさに世界各地で起きている現象だ。また、もし現在は恵まれた層にいたとしても、その地位が今後長く続くという保証は不確かな時代。この映画を観て他人ごとと捉える人は少数派だろうし、その人は感受性が鈍っていると考えたほうがよいのではないか。

少々(いや、かなり?)頑固だけど、根はいいおじいさん。彼は家族と離れ孤独だが、赤の他人と思っていた人びととの交流から楽しみや希望を見出す。この映画のストーリーは、今年観たある映画に似ていた。スウェーデン映画の『幸せなひとりぼっち』だ。どちらも地味ではある。大スペクタクルは出てこない。しかし、日常の厳しさと、コミカルさをうまくかけ合わせ、日々を生きる一般の人びとを真摯に描く。こういった静かだが上質な映画がそこそこヒットする世の中は、捨てたものじゃないなと思う。

そして、私はこの映画を観ながら、もう一本のある映画を思い出していた。『未来を花束にして』だ。イギリスで実際にあった、女性参政権獲得運動を描いた物語である。それを思い出したのは、ラストシーンで、ダニエルの持っていた自筆の手紙が話題になった時だった。ダニエルは彼自身の境遇を書き留め、世の中の不条理を訴えようとしていた。それと同じように、『未来を花束にして』の主人公は、彼女の生きてきた、極貧の洗濯女としての劣悪な人生を世の中に訴えかける。貧困層の彼や彼女が、ある偶然から、自らの体験を通して感じた世の歪みを問いかける言葉には、心を打たれないわけにはいかなかった。

本作はストーリーもさることながら、撮影手法も見事だった。余計な演出がない。若くして苦労するシングルマザー、ケイティが、お風呂場を掃除している時に、ふとタイルが落ちる。仕事もなく、お腹も空き、明日も見えない状態。その絶望感が、その瞬間にどっと押し寄せる。彼女は階段に座り、そっと涙を流すだけなのだが、それだけで大きな苦悩がこちらまで伝わる。派手な言動がなくても、いや、ないからこそ伝わるものも大きい。

ダニエルの演出にしてもそうだ。本作でおそらく最も盛り上がるのは、彼が役所の壁にある落書きをする場面だ。一市民が、長く続く不条理に耐えかねて起こす犯行が、スプレーでの落書き。殺人が横行するアクション映画に比べれば比較にならないほど地味だが、実際の我われの日常生活とはそういったものである。壁への落書きだって、かなりの勇気を伴うものだろう。ダニエルのその行動は、通りすがりのホームレスや、近所の若者の称賛を浴びる。ささやかながら、これは彼の精一杯の反抗であり、挑戦だったのだ。

最後に、この作品は、それを鑑賞した瞬間から、社会運動に参加できる仕組みになっている。それは以下のようなキャンペーンを行っているからだ。

「映画『わたしは、ダニエル・ブレイク』は、本映画を通じて得られる収益を、
貧困に苦しむ人々を支援する団体に、有料入場者1名につき50円寄付いたします。」(公式ホームページより)

さすがはケン・ローチ監督。映画は楽しめる、寄付はできる。とても良い気分になって劇場を後にした。もちろん、本作の内容が架空の出来事と思えるほど、不公平のない平和な現実であった方が本当はよい。でも、そうでないならば、まずはこの映画を観て、エンターテイメント作品として楽しみつつ、社会に潜む諸問題について考えてみるのも良いのではないか。