戦争について

今は8月。ということで、戦争について考える機会が多い。日々「平和」を願いっているものの、それがどうやったら維持できるのかは学ぶほどに難しい。「戦争は嫌だ。平和がいい」と思うことは、1980年代生まれの私の世代では普通のことだと思っていた。そして、その平和を維持するために、「今後は戦争をしない」という日本が行った決断は誇るべきものだとも思ってきた。

思えば平和な時代を生きてこれていたのだろう。同じ平和を得るためにこそ武力を持つべきだと言う考えを良く知ることすらなく、三十代を越えてしまった。昨今は日本は武力を持つべきか、持つとしたら自衛を完璧にできるほどの程度持つべきなのか、はたまた同盟国から要請があればすぐに参戦できるほどの軍備を整えておきべきか。そういった選択で世間は揺れている。驚いたのは、若い層でも日本の武力拡大に賛成な割合が多いという事実だ。

先程「平和な時代を生きてこれていたのだろう」と書いたが、全くの平和は存在しないとも思う。社会ではいつも誰かがより得をして、誰かが損をしている。ただし、何を「得」と定義づけるのかで意味は違ってくる。しかしともかくも、自分が圧倒的不利な状況にいなかったというだけのことであって、この日本でも苦しい立場で生きてきた人はすでに数えきれないのだろう。周りを見回しても不条理なことは多いし、私だって「なんでこうなるんだろう」と嘆くこともある。そういった個々人の苦境を社会が協力して救い合わない方向へ進んでしまえば、この状況を一変させる突破口を望む人が現れるのも理解できる。そのモヤモヤは、「愛国」や「伝統」などといったわかりやすいカタルシスに繋がっている気がする。そのどちらも大切なものだが、様ざまな考えを持った個人が互いに押し付け合うものになってしまえば、それは本来の意味をなくしてしまうと感じる。

戦争がいかに恐ろしいものかを実際に知る人は、どんどんこの世からいなくなっている。残されたものは思考し、想像するしかない。いったん初めてしまえば、終わらせることが困難な戦争。異なった大義でぶつかり合う、互いに「正義」を信じて始まる戦争。やはりどう考えても、積極的に交戦する力を持つこと、義務を負うことには抵抗がある。

まだまだ勉強の途中だが、平和をなくさないために自分はどういう希望を持っているのか、そして微力ながらも何ができるのだろうかということを、普段よりは考えたくなる夏だ。