真夏のゴジラ観賞

今日は『シン・ゴジラ』を鑑賞した。

今年の夏一番の大ヒット映画!という文句が乱れ飛び、観るまでは情報を入れないでおこうと思っていても、感想、考察が嫌でも目と耳に入るここ数日だった。やっと観られてほっとしている。

観終わっての感想は、「これぞ夏休み映画」だった。

「夏休み映画」とは映画宣伝の決まり文句だが、私自身は普段、あまりそういう季節感を意識しない。理由は単に、年中映画を観たいからだろう。夏休みだから、年末だから映画館に行こうといった気分にはならないので、そういう文句を聞いても「あ、そう言えばそうか」と思うだけだ。

しかし、今回はなぜかこの「夏休み映画」という言葉が映画を観終わったころに頭に浮かんできた。誰もがその名を知る怪獣、主役級から一瞬の脇役まで揃っているスターたち、これぞ大画面と大音量で観るべき迫力、そういったものがてんこ盛りの作品だったからだ。いかにも長期休みに満喫する大作といった感があった。映画館で観られてよかった。

内容に関してはあれもこれも言い出したらきりがないし、細かい解説をするほどのゴジラ知識及び庵野秀明監督知識が私にあるわけでもない。したがって、おおざっぱな感想になってしまうがそれもいいだろう。そういう鑑賞者のほうが多いだろうから。

まず私がしびれたのは、レトロ感へのこだわりだ。冒頭、東宝マークが登場するが、現代バージョンの後にすぐ古いバージョンが出てくる。そして話が始まるとさっそく矢継ぎ早に登場人物が出てくるが、各人の肩書の字体が昭和の映画を思い起こさせる。私の知識の範囲では、市川崑映画を連想させた。そして音響も、なるべく(もしくは全編?)モノラルに徹しているようだ。こうした様々な要素が、この作品を初代ゴジラの手触りに近づけたかったのだなと感じさせた。新しい技術があるからといってそれらを総動員するというスタイルではなく、あえて懐かしい味を取り入れたいという製作者の思い入れを感じた。元々「古い」というだけで魅力を感じがちな私は、上映開始早々に上記三要素に気付いた時点でワクワクした。

それでも、懐古趣味だけで終わるわけがないとの予想もあった。これは多くの人が指摘しているだろうが、現代ならではの描写も巧みだった。皆がスマホを持っているのはもちろん、ニコニコ動画ツイッターといった画面をそのまま前面に広げたシーンも多かった。日々そういったメディアに接している我々には「ああ、今こんな事件が起こったらきっとこうなるな」というリアリティを感じさせた。

俳優で一番「あっ」と思ったのは塚本晋也だ。2015年から今年は、映画『野火』の上映、それに伴う全国の映画館を巡る舞台挨拶、また先日発売された単行本『塚本晋也「野火」全記録』の監修などが続いていたはず。どう考えても忙しかっただろうに、いつのまに撮影したんだろう?とはいえ、キャスト情報もなるべく知らずにきた私には嬉しいサプライズだった。役柄は大学の准教授でもある生物学者。ゴジラについての情報解析をするのだが、そのスタイルがなんともアナログなのもよかった。地図に赤鉛筆で沢山書き込む、本を積み上げる。周りがほとんどパソコンで仕事をするなか、その姿勢がむしろかっこよかった。

ここまで作品を褒めてばかりいるが、観ている間の気持ちはそう単純ではいられなかった。どうしたってゴジラに気持ちが寄ってしまうから。もちろん恐ろしい怪獣だし、自分がその場にいたら逃げまどっていただろう。ただし、ゴジラはなぜ生れたのか。何を象徴するのか。多くの人が分析するようなそのようなことを思う以前に、単純に味方をしたくなった。恐らく人間の都合で生まれて、ただ街を歩いているだけなのにこんなに爆撃されるなんて。

世の中の物事は全てグレーだとも言えるが、ゴジラに対してだって敵か味方かなんて簡単に言えない。ゴジラと人間、どちらを応援すればよいのか。いや、そんなことそもそもできない。こうやって娯楽映画として鑑賞し、心の一方ではゴジラの造形に感嘆し状況に同情する。もう一方では「人間も捨てたものじゃないな。頑張れ!」と応援する。そんな状態が一番平和だなあとつくづく思った。事件や事故が実際に起ってしまっては楽しいどころではない。ゴジラは核、戦争、公害、天災、人間の業、あらゆるものを象徴しているのだろうが、そういったものをエンターテイメントとして、同時にあくまで警告として楽しめる世界を残したい、そんなことを上映中は感じていた。

最後に、ツイッターで話題になっていたコメントについて触れておこう。「シン・ゴジラには女性が好きそうな恋愛要素や家族愛がないのがいい。ヒットしてほしい」といった類の意見をちらほら見かけた。なるほど、手堅いヒット作を出したくて、そういった要素を安易に取り入れる手法があることは否定しないし、あまり嬉しくない傾向かもしれない。しかし、今日私は女一人で観に行って満足した。隣も女性一人、後ろも女の子二人組だった。けっこういますよ、女性ファン、とだけ言っておきたい。(声高に反論するつもりはない。男女問わず色んな趣味の人がいるし、よくある一意見だなという感じだ。書いた人もそこまで女性差別の意識はなかったのではないかな。いや、意識がなく決め付けるのが一番いけないのかな。「~とだけ言っておきたい」と書いたわりには、かなり書いてしまった)

奇しくも今日は2016年8月9日、長崎への原爆投下から71年目という日だった。今回の作品のメインテーマが何にしろ、核というキーワードからは逃れられない現代の世界。そのことを、今日のゴジラは思い出させてくれた。今も頭から伊福部昭の曲が離れない。話は尽きないが、今日のところはこの辺りで筆をおこう。